めし屋「サヨン」(元店主 安武清左右衛門さん 聞き書き 1997年)

 わしゃ、めし屋をやめとうなかったんだ。でも、年取ったし、学生相手だ、値段も上げられん、人も雇えん。しょうがなく、三年前に二女夫婦の居酒屋に衣替えしたんだ。昔ながらのめし屋は、ほんとなくなったよ。おやじが死んだり、コンビニに押されたりで。寂しいねえ。 

  

食堂時代の献立表(1993年) 

 わしが九大生相手のめし屋を始めたのは、まだ帝大時代の昭和五年。箱崎キャンパス(福岡市東区)に親類同士で開いた店で働いたんだ。昔の学生は、農家の馬小屋の上なんかに下宿してね。卒業の日にゃ、大学の芝生の上で、四斗鍋に徹夜で仕込んだ豚汁(学士鍋)と、ローストビーフのサンドイッチを振る舞ったもんだ。

 九大前バス停そばの今の場所に移ったのは戦後だが、ツケを払わん学生は変わらず、ようけおった。そのくせ「おじさーん、みそ汁もう一杯」だ。こっちも帳面につけんかった。わしゃ、学生倒れだよ(笑い)。まだ働かににゃならん。でもね、連中が大会社の重役になって「おじさん、元気かい」って、時々、角ビン下げてくるんだ。うれしいね。

 そうそう、長女の高子(映画会社がスカウトにきたほどの美人)は、学生によう好かれてね。「嫁さんに」というのが、いっぱいおった。両親と一緒に「下さい」というのも、ね。

 学生時代からの客の九大教授(てれくさいから匿名希望)

 昔は店の帳場に赤電話があってね、用もないのに「電話かして」って入り込んで、高子さんを拝みにいくやつが、僕も含めてたくさんいたな。

 清左右衛門さんの妻、村子さん(当時74歳)

 縁あって高子が西鉄ライオンズの田中久寿男(強肩の右翼手、現ロッテスカウト)に嫁いだ時、学生さんに呼び出されて「強制結婚でしょうが」って問い詰められたんです。かわいそうに、その人、あとでひどく落ち込んで…。

 高子さん

 父は「九大生に安くてうまいもんを食わせて、国を担う人物になってもらう」が口癖でした。私は高校から帰ると、いつも九大構内の学生寮にスイカなんかを配達させられました。セーラー服のまま、自転車で。当時の学生さんは生気にあふれて、あこがれを感じてました。私にとって、箱崎は今も生きる力を与えてもらえる町なんです。

 前出の九大教授

 高子さんが寮に来るのが楽しみでねえ。セーラー服が見えたら「来たぞー」って、みんな集まったもんだよ。

 再び清左右衛門さん

 わしゃ毎朝四時に起きて、戦友の漁師の船でタイを釣ってくるんだ。二女の店で安くてうまい刺し身ば食わしてやりたくてね。おかげで、客は相変わらず九大生と先生だ。ありがたいねえ。

(西日本新聞、1997年6月17日付、夕刊より転記)