あ と 山
■住所 : 福岡市東区箱崎1-36-32
■電話番号 : 092-651-3922
 2007年5月閉店(精肉部は現在も営業中)

九大生御用達の焼き肉屋さんといえば「あと山」。名物の焼き肉食べ放題を食べたことのある方も多いのではないでしょうか。
寂しいことに2007年5月をもって閉店してしまいましたが、九大生との思い出を記録しておくべく名物ママさんのお二人、後山豊子(通称・冨沙子)さん・後山陽子さんにインタビューをしてきました。

左:陽子さん、右:豊子さん

◇お店の沿革

精肉屋を戦後すぐから営んでおり、昭和29年、横にあった市場がすべてハトマーケットに移ったため、その空いた土地で料理屋(すき焼き屋)を始める(本格的に始めたのは昭和33年より)。一階がレストラン、二階がすき焼き屋。昭和50年より焼き肉の食べ放題を始める(1000円)。「もうかってどうするや、学生さんにあれせな」というご主人の思いから、赤字覚悟の出血大サービスであった(ご主人は昭和60年に他界されたそうです)。牛肉の輸入問題等から 4年ほど前に1500円に値上げしたものの、長きにわたりお腹をすかせた九大生の「手の出る高級品」として、サービスをし続けてくた。

■卒業したらあと山のすき焼きが食べたい

豊子さん 「その時分(昭和30〜50年代)は卒業生やら、うちはそげん高級じゃないんですけど、学生さんにとってはなんかこう、あれ(やっぱり高級品)で、自分が卒業して社会人になったらあと山のすき焼きを食べたーいっていう風におっしゃりよったですね」
陽子さん 「ここで肉食べるのが夢だったーって、しゃぶしゃぶ食べたりね、もう社会人になってから」

■昔は壁紙が森林だった

陽子さん 「(一階は昔)壁紙が森林のごとしとった、あのね、壁紙がね、森の感じでね、『丸太小屋のようなところで食べよるごたって』言われたこともある」

あと山・一階(閉店後)

■あと山での九大生

豊子さん 「学生さんは段々コンパやら利用していただくようになったのはいつ頃からでございましたでしょうかね、あのー体育会系のね、コンパやら、してもらいよりました。…応援団やら、何かあのー、体育系の人は…ラグビーやら水泳やら剣道やら色々ね、みえよりましたよ、弓道部とか」
陽子さん 「お客さんなんか、ちょーどね、うちの一番上(の子供)が30なんですね、もう自分の子供みたいにして(笑)」

閉店したあと山の2階座敷

豊子さん 「追い出しコンパでみんな最後になったら片付けて輪をつくるんですね、それで卒業生が舞台から来るんです、それで蹴飛ばすとです、両脇から。それで引きずり出してまた蹴飛ばすとです、『お世話になりましたー』って、で女の子のほうがよけい蹴飛ばしよった(笑)」
陽子さん 「みんなね、(飲んだら)裸になりたがるの(笑)特にね、運動ね、ワーストいくつっていうのが(笑)だけど(学生から)お母さんお母さんって言われちゃね、もーうっていうのが。だけどあんまりひどい時は怒っとったけどね、だって玄関先で着替えてるんだもん。玄関先で着替えてね、それで丁度その時満席で、空いた部屋で着替えができんかったからね、それで玄関先で着替えているわけ、お尻を外に向けてね、見えよったよ、それでオムツになって出てくるから(笑)」
豊子さん 「色々ねー楽しいですよ、学生さん」
陽子さん 「でもそれも可愛いしね」
豊子さん 「それでキャプテン交代で、舞台でロウソクをたててね、タラタラたらして…」
陽子さん 「文学部なんかしないよね」
豊子さん 「文学部はおとなしい、ねー文学部はおとなしい」
陽子さん 「女性が多いけんね」
豊子さん 「いや、男性でもおとなしい。運動部がやっぱりねー大杯にビール入れたりケチャップ入れたり、卵入れたりして飲ませよっとですよ。『僕たちもされとっちゃけんよかとです』って。それで今度はあのー、飲みきらんとは寝せて飲ませよっとですよ」
陽子さん 「アワふきよって、それで「大丈夫ね?」って(聞いたら)、『大丈夫です、アワ吹いても死にません』って(笑)無茶苦茶なことしとる人もおったね。だけどまあね、若いときだけんね。」

あと山・玄関口

■学生さんは楽しい

陽子さん 「でもね、学生さんは楽しい。あのー大暴れして壁を突き破ったり、登ったり」
豊子さん 「突き破ったけん、私はカレンダーをかけて(笑)」
陽子さん 「楽しかったよー、学生さんは色々思い出があって」

■九大生との思い出

豊子さん 「色々ありますけど、ほら、イッキ飲みとかさせよるでしょうが(笑)、で、それで、イッキ飲みされてですね、水泳の方やったと思ったんですけどね、もう、あのー目を白くしてアワ吹きよんなさったですよ。ほったら(一緒に飲んでた学生の)みんなですよ、『大丈夫だいじょうぶ、心配せんでいい』て言いよんなさったですけど、私も心配になって救急車呼んだんですたい。…そんなことやらありましたしね、その後は、良い話じゃないで悪いですけど、もう表で(飲みすぎて)こーなって(酔っ払って)おりましたからね、また私が救急車を呼んだんですよ。救急車の人に『大変ですね、ご迷惑かけます』て言うたら『あんたがここの経営者ですか、何でこんな飲ませるとですか!』って私が怒られてですね(笑)私が飲ませたわけじゃないし(笑)、そういうことがございましたよ。でも九大の学生さん皆さん行儀が良くてよかったですよ、そやけん学生さん好きでした。」

■学生運動

陽子さん 「学生運動にはまりこん(だ学生がおって)で、この辺りをね、蛇行しながらね、昔はデモ組んで行きよった。この辺りいきよった、ずーっと。結局のとこ卒業が4年位遅れたっちゃない、卒業が。」

■九大農学部の先生

豊子さん 「学生さんを焼き肉食べに連れてこられたことがあるんですよ。それでね、一番初めにみえられた時に学生さんだけんて思って安いの勧めたんですよ、そしたら先生が『メニュー持ってきて』っておっしゃったんですよ。メニュー持ってきて一番最上級(の肉)を腹いっぱい食べさせよんなさった。時々みえますけどよか肉食べさせなさるですよ。あんたたちよか先生でいいねーって(笑)。ほいで生ビールやら飲ませたりですね、よう可愛がってやりよっんしゃったですよ。工学部と農学部が多かったですね。」

■九大の先生

陽子さん 「九大出身の先生たちが自分たちの研究室の子たちを連れてきて、『お前たちここはな、俺たちの憧れのとこやったばい』って。」

■あと山知らんかったらもぐり

豊子さん 「九大生でね、あと山知らんのもぐりよって(笑)」
陽子さん 「おったとそれが、もぐりが(笑)。知らんていうけん『えーあんたもぐりやない』って、まあ冗談半分にね、、、」

■娘が九大生と結婚

「娘がバトミントン部の九大生と結婚したんですよ。知り合ったのはここ(お店)で知り合った。で、メールを教えてもらったり電話番号を教えてもらったり。それでね、、、」

■最近の九大生

「心なしかおとなしくなってた。ここ最近。もうちょとね、飲むときぐらいは場所があったんだから、そん時ぐらいはハチャメチャにしていいんだけどね、やっぱり風潮でしょうね、女性のほうが強くなったから。女性からイヤーそんなことしたらダメよって言われたら、「はい」っていうのが(笑)ねえー」

■閉店の契機

豊子さん 「(工学部が移転して学生が減ったからですか?)それもありますしね、それこそもう老朽化しとったでしょ、あの電気とか、設備が、、、夏場なんか電気代は高くなるし赤字が多かったんですよ、もう黒字の月が何ヶ月かで、もうどうしよかーって言いよりましたけど、、、私もやめたくなかったんですけどね。」
陽子さん 「本当はお金さえあればね、余裕さえあればやってもいいんですけど、これで人通りがないから、、どうしようもないですもんねぇ。」

■九大移転

豊子さん 「何で箱崎の人が反対さっしゃらんかったんかなーって思うとですよね、今頃今里先生たちがねー、しよんなさりるけど、もっとはよう、、、みんな困って、学生さんたちでたっとるところがおおかでしょ」
陽子さん 「人がいればね、学生さんでもいればね、みんな集まってくるんです、(店に)入るとか入らんとか関係なしに、人が歩いていればね。今は誰も夜なんか…で、工学部はやっぱりこっちのほうの商店街に近かったけんですね、で、あとの文学部なんかはあっちの向こうのほうの、3号線のほうの。だから買い物するにもルミエール。昔は先生たちも袋もって果物とか買い物しよったけど、それもなくなったもんねえ。」

■九大生へのメッセージ

陽子さん 「あんまりね、形にはまったような人間じゃなくてね、少し無鉄砲でも昔の気質のね、無鉄砲な学生さん、そういう学生生活を送ってもね、いいんじゃなかろうかと思いますよ。あんまり形にはまったおりこうさんよりも、少し人生経験をいっぱいして、色んなことしていけば、社会人になったときに、何かこう、挫折を感じなくてすむんじゃない。昔こういうことやった、仲間に相談したり色んなことやってね、仲間の絆を強めて、色んなことが起こったとしてもそういうことを解決できるとか、上と下との上下関係で相談できたり、色んなことがこういうことが円環によってできるんじゃないかと思うんですけど。…最近の学生はおとなしい、形にはまった人が多い。だからスポーツやった人ってのは割とね、上下関係がうまくいくことがあるかなーと、別にスポーツやってるのが良いというわけじゃないんですけど、例えば研究室によっても食べ物を食べることによって上下の、先生たちともざっくばらんに話せるし、そういうことも必要だと思うしね。」
豊子さん 「色々長いことお世話になりましたことの厚い御礼とですね、また、あのー、どこかの隅で店開きましたらよろしくまたね、あのー、時々立ち寄ってもらいたいと思います。」


九大生との思い出が詰まった箱崎のあと山は閉店してしまいましたが、現在新たな場所での開店を計画されているそうです(場所は未定)。
数十年にわたり本当にお世話になりました。新たな門出を、九大生一同応援しています。

■□ あと山写真集 □■

 ※ あと山に関する写真は こちら をクリック(別ウィンドウでスライドショーを表示します)

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