梅 乃 湯
■住所 : 福岡市東区筥松3-6-35
■営業時間 : 16:00〜23:00(水曜定休)

■筥松、今昔

ワンルームマンションやアパートが建ち並ぶ筥松地区。九州大学箱崎キャンパスに通う学生たちの寝食を引き受けてきた地区だ。その役割は昔から変わらないが、広がる景色は随分変わった。
50年前、筥松は辺り一面畑だった。戸建住宅や商店が集まる網屋地区を北西に据え、広がる畑のところどころにぽつんぽつんと農家を散らした筥松は、しかしそれでもその頃から九大生に寝床を提供していた。
戦後、農業の機械化が進み、農業から牛馬の姿が消えた。必要になる人手もずいぶん減った。それに伴い、農家の納屋が空になった。離れも2階も空になった。しかし空き部屋が空き部屋のままだった時間は長くない。壁を塗り替え床を張り間仕切りを増やした空き部屋には、親元を離れて福岡にやってきた学生らが入った。
「そんな畑の真ん中に、銭湯なんぞ作ってどうする」
そう笑われたという吉岡昭雄さんはしかし、1軒の農家につき、4〜5人の学生たちが暮らしていることを知っていた。

■畑の中に、お湯誕生

昭和29年、畑の真ん中に「梅乃湯」が建った。

高圧線が地下に埋まり、線を支えていた鉄塔が消え、かわりに銭湯の煙突が空に伸びた。
番台に座ったのは、昭雄さんの奥さんサコさん。仕事のため西日本を転々としていた昭雄さんが帰る家でもあり、サチコさんの職場でもある銭湯は、飛び梅伝説にちなんで「梅乃湯」と名づけられた。
営業時間は15時から23時まで。入浴料金は22円。風呂を持たない下宿学生たちが、講義を終えた夕方ごろから下駄を鳴らして梅乃湯に通った。
網屋など住宅街に建つ銭湯は、一般8割・学生2割という客構成だったそうだが、梅乃湯はその逆。学生8割・一般2割。もっとも混み合う夕食前後や就寝前の時間帯は、下駄箱に入りきれない下駄がずらりと入り口に並んだ。
多い時には1日で500人を超える人が汗を流し、温まっていった。次から次に学生がやって来る。焚いても焚いても湯が間に合わない。湯加減を見ては、湯をわかすボイラーマンが待機する裏口へとサチコさんは走った。
急いで番台に戻ると、誰もいない番台に小銭がばらばらと置かれている。
無人の番台に入浴料金が積み上がることも、日常茶飯事だった。
「盗ってやろう、なんていう人はいなかったからね。いい時代だったね。」
息子のような娘のような学生たちを見守ってきたサチコさんは、笑う。

昭雄さん

サチコさん

■梅乃湯と学生

銭湯は、内も外も社交場だった。
裸の付き合いを終え、表面から体を温めた学生たちは、気の合う友人たちと酒を酌み交わし喧々諤々意見を交わした。梅乃湯の周りにはいつの間にか、飲み屋が増えた。焼鳥屋も居酒屋も屋台も、梅乃湯が営業を休むとそれに倣った。
下駄箱に入れるのが面倒だ、と下駄を脱ぎ散らかしたばっかりに、良く似た他人の下駄を履いて帰ってしまう学生も多くいた。
七帝戦の後や部活の合宿が行われる時期は、汗だくの団体が押し寄せることもあった。
「バンカラ」という言葉が似合う男子学生たちであふれかえっていた梅乃湯だが、当然、女子学生も多数利用していた。
サチコさんには、忘れられない思い出がある。
お湯に浸かって温まって、気分が良くなったのか。3〜4人連れでやってきた女子学生たちが、湯船の中で合唱を始めた。高い天井と、女湯男湯を隔てる壁はつながっていない。番台に座るサチコさんが耳を傾ける歌に、いつのまにか男湯からの声が重なっていた。壁1枚を隔てた見知らぬ者同士は、いまだ互いの顔も知らないけれども、声を合わせて同じ歌を歌っていた。

■50年という年月に

50年の間に、筥松の景色は随分変わった。
一面に広がる畑は宅地になり、アパートやマンションが建った。
景色だけではない。
農家に下宿していた学生たちの多くは、集合住宅に移り住んだ。自分専用の浴室を持つようになった。銭湯を利用する学生は減った。
梅乃湯は、ロッカーの数と下駄箱の数を減らした。
そのかわり、ぬるいお湯を湛えていた湯船は、泡風呂になった。水風呂も増設された。ボイラーマンが待機していたスペースは、コインランドリーになった。
今でも、学生をはじめとする若い客が梅乃湯に足を運ぶ。
「宅地の中にある銭湯」より「畑の中にあった梅乃湯」は、昔から若いお客が多いんだ、と話す昭雄さんはどこか誇らしげだ。
国鉄の線路が地面を走っていた頃、遮断機の前で列車の通過を持っているといつも、並び待つ学生や通り過ぎる学生たち(勿論、梅乃湯でよく見る顔ばかりだ)から、おばちゃんおばちゃんと挨拶された、と笑うサチコさんは嬉しそうだ。
息子や娘のように思っていた学生たちも、社会人になった。結婚相手を連れて挨拶にくるような年になった。すっかり「いい年」にもなった。

それでもいまだ梅乃湯へ、近くに来たからとかつての九大生たちが、足を運ぶ。
今日も日が暮れたころ梅乃湯へ、大学の講義を終えた学生たちが、足を運ぶ。


営業時間、16時から23時。
定休日、水曜日。
入浴料金、福岡県公衆浴場生活衛生協同組合が定める、410円。
JR鹿児島本線を走る列車の車窓からも、梅乃湯の煙突は、昔と変わらずよく見える。
「今でもじいさんばあさんは元気にやっとります」
ずっと学生たちを見守ってきたサチコさん・定年退職してからは番台に上る機会が増えた昭雄さんから、今の九大生そしてかつての九大生への伝言だ。

■□ 梅乃湯写真集 □■

 ※ 梅乃湯に関する写真は こちら をクリック(別ウィンドウでスライドショーを表示します)

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