花 山
■住所 : 福岡市東区馬出5-19-10
■電話番号 : 090-3320-3293
■営業時間 : 17:30ぐらい〜01:30(オーダーストップ) (月曜定休)

今回は、箱崎宮前にある屋台「花山」さんにインタビューさせてもらいました。
52歳の大将(イケメン!)と若いお兄さんたち(イケメン!)がテキパキと動き、とても活気があるお店です。

◇お店の沿革やメニュー


串物

なんと昭和28年に開店したという花山はずっと箱崎宮前で営業を続けているそう。
大将がお父さんからお店を受け継いだのは18歳の時。
当時は14軒ほどの屋台が並ぶ屋台通りだった宮前も今では花山1軒のみになっている。
花山の代表的メニューといえば、やきとりのなかでも特に“白”(豚の腸)!
そして冷凍ものは一切使わず、ウインナーやだんごは全て手作りというこだわりが魅力。

■九大生とのかかわり

箱崎で祭りがある時には、毎年九大生がアルバイトとして手伝いにくる。
十日えびすでは、医学部バスケ部が手を貸してくれたが、毎日来るメンバーがばらばらで一から教えないといけなかったと苦笑いしながら話してくれる大将は、「でもさすが九大生よ。頭良くてぴっとしとるけんスムーズに仕事こなしてくれるっちゃもん」。
十日えびすが終わった次の日も数人が撤収の手伝いにきてくれたが、そのなかでボーッとしてなかなか仕事のはかどらない青年が一人。
檄を飛ばしたあと、周囲の学生らに「こいつ学校では成績トップなんですよ」と言われ驚いたこともあるという。
「でもねーボーッとしとってもなんでも、結局そういうやつのことがかわいくてしょうがないんよね」

--- 放生会 ---

2006年の放生会のときには少林寺のメンバーがアルバイトとして一生懸命手伝ってくれた。

花山の大将・花田博之さん

しかし1人の学生が誤ってラーメンをこぼしてしまい、その場にいたお客さん(女性)のハンドバッグを汚してしまう。怒ったお客さんに対して大将は丁重に謝罪し、クリーニング代を払うと申し出るも、「このバッグはクリーニングできない」と言われ弁償することに。祭りの夜はいつにない混雑ぶりで、また後日請求してほしいとお願いするが彼女の怒りはおさまらず「今すぐ16万払え」という。
そのとき、様子を見ていた他の客が「俺は長年この店に通いよる昔からの客で、大将のこともよーく知っとる。大将は逃げも隠れもするような男やない!」と救ってくれた。また、バッグ専門店で働く常連夫婦は話を聞いて「この件は自分たちに任せてほしい」と申し出て、そのバッグが実は高級品ではないことやクリーニングできることを示し、話をつけてくれた。もちろん汚したことは店の非だからと相当の金額は払ったものの、その学生に対しては「なんも心配すんな。おまえは一生懸命働いただけやけん」とその事実を伝えてはいない。
お店に来てくれた人はお客さんであり、友達である。そしてその人たちの存在こそが花山の財産だ、と語る大将の言葉に胸が熱くなった。たった1日のアルバイトである九大生のミスを責めることなく、何もいわずに背負ってくれる、そんな大将たちの器の大きさが花山の魅力であり長年地域の人に愛されてきた理由なのだろう。

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なじみ客との談笑

■昔の九大生と今の九大生

それでも今、客としてやってくる学生はそれほど多くはない。
やはり材料にこだわっているぶんだけチェーンの居酒屋などに比べると価格が高めなことが理由だろうと大将はいう。
しかし、昔屋台が立ち並んでいた頃は九大生が多かったらしい。
その理由となる甘酸っぱい話を聞くことができた。

--- ロマン座 ---

箱崎宮前に軒を並べる14の屋台のほとんどは、おかみさんとその娘さんが経営していた。若い娘さんが店に立ち近い距離で話せるということで、それを目当てにお金のない九大生でもことあるごとに屋台に通い、どこの屋台の○○ちゃんがかわいいとか誰と誰が仲良くなったとか日々胸をときめかせていたというのである。そしてそのことから宮前の屋台が並ぶ通りのことをいつからか「ロマン座」と呼ぶように。

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当時は、司法試験にチャレンジする学生が落ちたといって泣くのをなぐさめ、合格したと聞けば一緒になって泣くこともあった。
その頃仲良くなった九大生と大将は今でも親しい。
魚釣りにいってきましたと、釣った魚をおみやげにもってきてくれる元九大生や披露宴に招待してくれる卒業生もいる。
さらには、福岡を出て東京や大阪で働く卒業生同士がたまたま知り合い、「博多出身ということは、花山とか知ってますか?」と、遠く関東関西で話を弾ませることも多い。

また、大将曰く「昔の九大生はみ〜んなジャージでいかにもって感じやったけど、今の学生は格好がしゃれとって見ただけじゃ全然分からん」。
昔はちょっと飲みにきて居合わせた社会人と一緒になってわいわいやりながら上手におごってもらうのが一般的な学生の姿だったが、「今では社会人のほうがお金がないけん」そんなことも滅多になくなったという話も聞かせてもらった。

活気と熱気に満ちた店内

■九大の移転について

移転によって、九大生というよりも九大の職員や先生がいなくなるのが痛手だという。
直接的にだけでなく、花山以外の学校周辺の店の収入が減ることによってそこの従業員が客として花山に足を運ばなくなるという間接的な影響も大きいからだ。
しかし、花山の大将は決して悲観的な表情を見せない。
なぜなら、長年箱崎宮前でやってきたからこそ九大生以外のつながりや常連さんが多いという自信と強みがあるからである。
移転についても、「時代の流れやけんしょうがない」と話す。
ただ、大学には『帝国大学の歴史の重みや今までの卒業生の母校を失わせてしまうという、大きなものを背負った移転』だということをきちんと考えていてほしいという大将の言葉には、本当に学生のことを大切に想ってくれている気持ちがギュッと詰まっているように感じた。

■九大生へ伝えたいこと

花山にやってくる人のなかには福岡にやってきたばかりの大企業の社員も多い。
博多出身の上司から「箱崎で仕事するなら花山に行け」と言われるらしいのだ。
町を知って、人と触れあって、初めてその地域で仕事ができる。
大将は「九大生も同じ。やっぱり勉強だけじゃだめ。町のことも分からんといかん。」という。
苦労し、苦労を見る、そのぶんだけ心のこもった仕事ができるのだからと。
そして最後に「足跡のない学生時代は何にもならない」と、九大生に向けて大将らしいエールを送ってくれた。


今回花山さんにお伺いして、九大の移転は、地域に対して色んな角度から影響を及ぼしているのだと実感しました。
学生がいなくなることだけじゃなく、長く勤めてこられた先生方や職員の方々が箱崎から離れてしまうことも町の変化の一因になるのです。
町のなかにはもっと様々な要因が隠されているかもしれないと、さらに多くの人からお話をうかがう必要性を感じました。
花山のみなさん、閉店時間を過ぎてまで、嫌な顔ひとつせず貴重なお話を聞かせて頂き、本当にありがとうございました。
これからもずっと箱崎宮前でみんなの帰る場所を守り続けてください。
そして学生さんには是非、おいしいやきとりやラーメンを食べに、そして熱い大将やスタッフの方々に会いに、花山へ行ってほしいと思います。

■□ 花山写真集 □■

 ※ 花山に関する写真は こちら をクリック(別ウィンドウでスライドショーを表示します)

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(C)2008 箱崎九大記憶保存会