志 乃 み や
 2000年7月閉店

工学部通用門を出てすぐ、一光寺横に店を構える「志乃みや」。家庭的な雰囲気と味が売り―九大生にとって馴染み深いこの食堂も、平成12年7月をもって35年の歴史に幕を閉じました。長らくお店を切り盛りしてきたおしどり夫婦、四宮豊司さん・和子さんにインタビューをしてきました。

◇お店の沿革


四宮豊司さん(81)・和子さん(76)

豊司さんは海門戸生まれの生粋の箱崎っ子。昭和41年、タバコ屋を営む自宅を改装して食事・喫茶店「志乃みや」を開店する。営業時間はお昼が11時から15時まで、夕方は17時から22時、月曜日から土曜日まで学生の生活時間に合わせてお店を開けていた。客層は9割が学生で、九大の先生方も来店することが多かったという。二人とも食堂の経験は全くなかったため、当初は定食などを出しておらず、飯、みそ汁、小鉢などの単品メニューをお客一人ひとりにたずねて注文を取っていたそうである。大学の真横という土地柄からか、お店は開店当初から大盛況、近所のおばちゃん方に「かせいして」と手を借り、地域の方々や長男のお嫁さんに手伝ってもらいながらお店を切り盛りしてきた。

■あの頃のお店


開店当初(昭和41年頃)
店内にはカウンター8席、テーブル4つの計28席があった。とにかくお客が多く、毎日がお祭りのような忙しさ。店内は学生でごった返し、空くのを待つ学生が外に列をつくって並ぶことも日常茶飯事であった。客が九大生ならアルバイトも九大生、大学構内にアルバイト募集の張り紙をし、沢山の学生がアルバイトとして働いてきた。とにかくお客さんが多かったため、最盛期には、お昼に3〜4人、夕方には4〜5人のアルバイトを雇っていたそうである。それでも女将さんの和子さんが寝るのは毎日深夜の3時4時であった。

■メニュー


調理器具が所狭しと並ぶ調理場
開店当初は軽食喫茶の店でもあり、コーヒー、サンドイッチ、ホットドッグからご飯やおかずまでありとあらゆるメニューを提供していた。さらに夏になればシロップを手作りしてカキ氷、冬になれば卵を買ってきておでんを作っていた。当時はとにかく大変で「昔は(ノウハウが)よく分からんし若かったからできたこと、今はとてもできん」という。当時の値段―みそ汁30円、大根おろし10円、焼メン50円、、、「焼メン」とはちゃんぽんメンを野菜とからめて炒めて魚粉をまぶした料理である。
定食を始めてからの一番人気は鯨テキ定食。当時はまだ鯨が安く、鯨肉に生卵をつけて焼いて出していた。鯨が高級品となるまで長らくトップ商品だったという。東京の大学に通う息子さんから教えてもらい始めた「しょうが焼き定食」も人気メニューの一つだった。昭和50年代からは「おまかせ定食」(600円)も出し始めた。日替わりのメインのおかず・みそ汁・付け合せ・ごはんがセットとなっており、味・ボリューム・値段、どれをとっても学生にはありがたいメニュー、栄養が偏らないようメニューを苦心して作ったと和子さんは振り返る。 一時期、ご飯の食べ放題をやってみたものの、運動部の学生が大挙して押し寄せご飯を3、4杯おかわりするため「こらいかんばい」と辞めたこともある。

■留学生

志乃みやは留学生のお客が比較的多かった。海ノ中道に駐留していた米軍での勤務経験があったため、豊司さんは英語はお手の物。80年代半ば、留学生がちらほら客として見え始めた当時、英語のメニューを併記した。応対も英語でしたため留学生にとって親しみやすいお店だったのだろう。

留学生を自宅に招いて
世界各国から九大に来る留学生は味覚も宗教も千差万別、インドからの留学生は「豚肉だめ、ラードだめ」と言うため、塩さばや白身魚など、それぞれに合わせた料理を提供した。親しくなった留学生を自宅に招き、着付けを教えたり正月料理を振舞ったり、ひな祭りを一緒に祝ったりもした。留学生がお店に送った寄せ書きにはお礼のメッセージがびっしりと書き込まれており、「民間外交」を実践するお店として新聞に載ったこともある。この頃は「本当に楽しかった、会えるならまた皆と会いたい」と豊司さんは振り返る。

■九大生と


九大生と工学部通用門にて(1986年)
九大生は皆行儀がよく、「ジェントルマン」だったという。もめたことは一度もなく「楽しいことばかり」だった。そうした九大生との思い出は「多すぎる」ほどあるが、印象深いのは学生の仮装行列での一コマ。和子さんいわく、豊司さんはとても「固く」、お客がきたら「いらっしゃいませ!」と慇懃な応対で有名であった。仮装行列である九大生が「志乃みや食堂のおじさんの真似!」と、豊司さんのモノマネをして周囲を大笑いさせたことがある。学生がお店に親しみをもっていたこと、学生の誰もが知っているお店であったことを物語るエピソードである。

和子さん 「今振り返ったら、うちのお客さんというのは、『人のことは知らん!』ていう感じのお客さんじゃなくて、必ずちょっと頭を下げるし、帰るときに『おごちそうさまでした〜』とほとんど皆言って帰る。みんないい人が来るねって主人と言いよりましたね。そして(満席のため)お店に入られん時はみんなお寺の前に待ってあったね、自転車ならべて。」
豊司さん 「見張りが一人立っとって、空いたら『空いたぞー』って言って一つグループが入って。ありがたいことですよね。」

■閉店


店内にて(1986年)
九大生と共に歩み続けた志乃みや食堂は2000年7月、35年の歴史に幕を閉じた。きっかけは女将さんの和子さんが首を悪くしたからだ。長年の立ち仕事でズレた首の骨が血管や筋を圧迫したため、ドクターストップがかかったのである。豊司さんは「この人が身体をなくしてしもうたら大変だから、よし辞めようと、スパッと」閉店を決意した。

■九大生へのメッセージ

感謝のことばだけです。私どものお店を使って頂いたことに感謝するだけです。そして皆さんが各方面でご活躍されることを祈っております。
― 現役学生へのメッセージは?
親が子に言うようなメッセージになってしまいますね。
言えば、よく食べてよく学んでください。
現在は宗像市に在住のお二人。仲むつまじい二人がかもし出す暖かい雰囲気と優しさは、数多くの九大生にとって第二の家庭だったのでしょう。お店は閉店しましたが、35年間九大生に振舞い続けた愛情たっぷりの料理は、今現在でも九大卒業生の血となり肉となり残っています―舌にかすかに残るなつかしの味と、心に残る思いでと共に。

■□ 志乃みや写真集 □■

 ※ 志乃みやに関する写真は こちら をクリック(別ウィンドウでスライドショーを表示します)

■□ 「九大生と共に…」(九大学生新聞,第179号) □■

 ※ こちら をクリック(別ウィンドウでPDFファイルを表示します)

▲ ページのトップへ戻る

(C)2008 箱崎九大記憶保存会