対州
■住所 : 福岡県福岡市東区筥松2-20-20
■電話番号 : 092-621-5123


IZAKAYA 対州


「九大の教授が学生にご褒美として連れていくならここ」というイメージの強い対州。そのこともありもっと敷居の高いお店と思っていましたが、インタビューしてみて大将の優しい笑顔に終始和ませていただきました。お値段も手ごろでぜひ一度訪れてみたいお店です。変わりゆく箱崎を長く見守ってきた対州の記憶をまとめました。


◇お店の沿革

  お店が始まったのは今から40年ほど前。大衆的居酒屋として、昔から箱崎のいろいろな方に愛されているお店だ。今のお店の形になったのは15年ほど前のこと。JR箱崎駅の建設や道路の拡大工事などによる区画整理のため、今の形への変更を余儀なくされた。お店の大きさは変わってしまっても、メニューのほとんどの値段が昔から変わっていないことは大将のこだわりだ。

■名前の由来

(大将)僕がね、対馬出身やけんね。対州って聞いたことないやろ。対馬の人らは自分らのこと対州、壱岐の人らは壱洲っていうんよ。それでお店の名前も対州。

■自慢の一品

(大将)看板メニューっていうのはね、昔からうちの対州鍋っていうのがね。今日作っとるけん、写真撮ってみる?いろいろな野菜やお魚が入った鍋で値段は1500円。それで、この対州鍋に入っとるお魚は、月に三回くらいはおいちゃんが釣ってくる。朝三時くらいに船に乗って。やけん、普通の魚と違うやろ。卒業生とかに対州鍋って言ったら感動するっちゃないと?笑 そのかわり、これいっちょで学生さん10人くらいがワーワー言うてからさ。食べて。最後を雑炊とかにしてね。食べて帰っていく人も多かったかな。値段も変わってないしね。

■九大の学生とのかかわり

(大将)学生さんは今来てる人もおるけど、話さんけんね。生協の人とか多い気がするけど。学生よりも先生のほうがよく来られる。今はね。むかーしは学生さんばっかりやったんよ。もうほとんど学生さんがいっぱいで社会人の方が入れんくらい(笑) 学生さんは一次会、二次会、三次会いつでも来よったね。うちはね、昔は4時までしよったけんね。やけん、一次会をうちでして、二件目天神のほうにでも行って、最後またうちに帰ってくる感じ。まぁそんときはもうビールとちょこっとしたつまみくらいで、ね。宴会場が広かったけんね。やけんそうやね、全部入れたら200人くらいは入りよったかな。学生さんだけで何グループか。2グループとかね。混成合唱団。まぁいろんなとこが。応援団とかさ。いろいろある。運動部に、そのいろんな文化部の学生さん。今はもうみんな偉くなって。工学部とかの人が付き合いが長いね。今もある。司法試験受けて弁護士になった人もおるし、先生になった人もおるね。

■学生の変化

(大将)そりゃ昔のほうがかかわりがあったね。野球チームとか。早朝野球とかもしよったけんね。学生さんたちと。(移転によって変わったところはないかって)すぐ言われるとね。あのー、いろいろあろうけど。でも今は今で慣れたけん。ただあの、そうやね。学生さん、学生さんも変わったね。どっちか言うと。前はみんなほら、お風呂もついてないから。寮とか下宿とかそういう感じやったんよね。今はちゃんとしたアパートになって。みんな銭湯とか外にね、行よったんやけどね。学生さんもね。だいたい十時くらいから出てきて、三時ぐらいまで。だいたい。学生さんは遅いけん。勉強したあとからやって来るけん。ねー、やっぱりそのくらいやね。でも宴会のコンパとかいうときは早いんじゃないかな。あとはもう、ほとんど九時、十時過ぎぐらいから。ぞろぞろどっからか出てきて集まってくる。ありがたいことで(笑)でもその代わりけっこう一緒に飲んだり食ったりしとるけん(笑)そんなやったね。

■九大の移転に関して

(大将)ちょっとね、寂しくなるよね。なんかね。移転。今の九大の大学(伊都キャンパス)はみんな言うけど、なんだろう。ピンとこんよね。福岡県という感じやない。唐津みたい。うん、遠いしね。まぁ道路はよくなったけど、自分たちからするとなんかやっぱり唐津みたい。なんかちょっと外れた感じ。ただ九大というだけで。九大が無くなると、箱崎九大前とかあっちのほうはだいぶ変わるんやないかな。ここはもうこういう感じやから。なんかね、寂しくなるけど、またなんかね、人が集まってくるようなそういう施設ができるといいなって。僕らの世代はもう終わりやろうけどね(笑)もう20年先もは無理やろうし。次のね、町になってくれればいい。九大が無くなったとしても、地元のなじみのお客さんもたくさんおるしね。


お店の準備中にもかかわらず、私たちのためにお時間を割いてインタビューに応じてくださった大将に感謝の気持ちでいっぱいです。九大移転まで残りわずかとなりました。私も箱崎に通った最後の世代として、もっともっと箱崎の町のことを知り、箱崎のことを好きになりたいと思いました。学生と地域の交流が以前より薄くなっているなということをやはり感じました。微力ですが、私たちが最後の橋渡しをできればいいなと思います。

▲ ページのトップへ戻る

(C)2008 箱崎九大記憶保存会