レコードショップまさ

六本松キャンパス前の大通りを天神方面に少し行ったところにお店を構えるのが、レコードショップまさです。お店をはじめて30年以上にもなるという、気さくなご主人の山口政盛(73)さんにインタビューしてきました。

■お店の沿革
ご主人は元々、大手音楽会社の社員として九州と四国の高松を転々としていたそうだ。それが母親の他界をきっかけに会社を辞めた。一時期音楽とは無縁の仕事をしていたこともあったが、音楽がない仕事に耐えられず自分のレコード屋を持つことを決めたという。
■3度の移転
ご主人はこれまで3度の移転を経験してきたという。最初にご主人が店を構えたのは鳥飼郵便局の前であった。それからツタヤの前にお店を移転した。場所が大学に近いこともあって、ここに店を構えた時が一番学生が多かったそうだ。2度目の移転は六本松交差点の信号前で、3度目の移転が現在の場所である。ご主人は「もう年なのでここが最後だと思っている。」と話す。家の人は「いつまでも店をせんでもいい」と、店を続けることに否定的らしいが、ご主人は「元気なうちはやめたくない。」と意欲を語った。店を少しでも長く経営するために、足腰を鍛える運動もしているという。
■客へのサービス
3度の移転を経験して、ご主人は「小さい店にしてから顧客を大切にするようになった。」と話してくれた。大きい店だとバイトを入れていたこともあって、お客と話したり出来なかったが、店が小さくなってからはそういうことが出来るようになったそうだ。「おじさんは勉強してるよ。レコード会社から送ってくる資料とか読んで。」と、ご主人はカウンターの下に手を伸ばした。ご主人が私たちに見せてくれたのは、レコード会社からの情報を馴染みの顧客用にまとめたものだった。ご主人は顧客の好みを覚えて、一人ひとりのために最新の情報を集めてまとめたり、顧客の好みに合いそうな歌手や歌を紹介したりしているそうだ。さらにファンはポスターなどを欲しがるので、レコード会社と交渉して何とか手に入れているそうだ。レコード会社は経営が厳しくなってきて、何十枚以上の注文がないとポスターなどを渡さないようになったそうだが、ご主人の場合は何十年もの付き合いがあるからとレコード会社が特別にポスターなどを渡してくれるそうだ。

■九大生との思い出
長年六本松にお店を構えてきたご主人に九大生との思い出を尋ねた。するとご主人はツタヤ前店での思い出話をしてくれた。当時はレコードとCDが入れ替わる時期で、学生の間にもレコード派とCD派がいたそうだ。そこで学生が店内でどちらの方が優れているか議論していたという。レコード派はアンプなどが高価だからいい音が出ると主張し、CD派は最新のテクノロジーがレコードに劣るはずがないと主張していた。
ご主人は数人のグループで来店した男の子の話もしてくれた。仲間が授業へ行くときに、その男の子だけ店に残っていたという。ご主人が声をかけると、試験の単位を落として留年が決まったため、授業に出る必要がなくなったと話した。「あのしょぼーんとした学生のことが忘れられない。」とご主人は話す。学生との付き合いの中で、ご主人は先生によって単位の取りやすさに違いがあることをよくご存じだった。
単位の話をしていると、こんな笑い話も聞かせてくれた。学生が店で、「あの先生は厳しい。」などと教師批評をしていたことがあったそうだ。すると話しているそばから、その先生が店に現れたことがあったという。ご主人は当時の学生の様子を思い出されたのだろうか、にっこりほほ笑んだ。
大阪か名古屋の研究所に勤めていた学生が、自分の考えと職場の考えが合わないことを理由に仕事を辞め、そのことをわざわざ報告しにきたことがあったという。その人は学生時代に薬剤師の資格を持っていて、長崎の島原に薬剤師として勤めたが、島原にはレコード屋は多くなく、福岡を離れた後もたびたび注文が来ていたそうだ。
また、移転前の店に来てくれていた卒業生は「おじさん、今から行くよ。」と、就職した後もしばらくの間は長崎県の大村から通ってきてくれていたという。ご主人は「『わざわざ大村から来んでいいよ!』って言うんやけどね…(わざわざ大村から来てくれた)」と懐かしそうに語った。
■移転
「移転の話を聞いた時ガクッとした。せめて店がなくなるまではやっていてほしかった。友達が転校するときの気分だよ。せっかく友達になったのにいなくなると寂しいでしょ。生徒はもちろん学校と付き合ってきたから、移転はさみしい。」と、九大が六本松から無くなってしまうことの虚無感や寂しさを語ってくれた。
■学生の変化
九大生の変化について尋ねると、ご主人は少し考えて、「時代の流れと思うけど、昔の学生には素朴さがあって、ぶっきらぼうで、甘えや純粋さがあった。今の学生は賢くなったよね。自分を表に出さなくなった。自分をさらけ出すのは仲良くなってから。」「昔はみんな自分の子供みたいに声をかけたりしてたけど、今は1つ線をひかれました。でも私が学生の地元のことを知っているとなつくのが早いんですよ。その点では今まで営業をしていてよかったと思いますよ。地元をしていることに対して親しさがあるんでしょうね。まず出身地の話をして、それから音楽の話をするんですよ。」と話し、かつて繰り返されていた学生とのやり取りを回想した。「昔はベスト盤なんてなかったので、学生がよくどんな音楽を聴けばいいか尋ねてきていたんですよ。だから『これを聞いてみたら?』と指導するんです。そしたら学生が『この前のはよかった。』と感想を言ってくれる。それがうれしいんです。」
■帰って来た先生、卒業生
昔の店に来ていた九大の先生が「近くだから。」と現在のレコード屋に足を運んでくれることがあるそうだ。また先生の中には「大学が伊都に行ったら、店を伊都に出して。」と言ってくれる人もいる。ご主人が「ここを最後にする。」と話すと、先生は「Book Offに用があって移転した後も六本松によるから、その時はここにもよる。」と言ってくれたという。
大阪か名古屋の研究所に勤めていた学生が、自分の考えと職場の考えが合わないことを理由に仕事を辞め、そのことをわざわざ報告しにきたことがあったという。その人は学生時代に薬剤師の資格を持っていて、長崎の島原に薬剤師として勤めたが、島原にはレコード屋は多くなく、福岡を離れた後もたびたび注文が来ていたそうだ。
また、移転前の店に来てくれていた卒業生は「おじさん、今から行くよ。」と、就職した後もしばらくの間は長崎県の大村から通ってきてくれていたという。ご主人は「『わざわざ大村から来んでいいよ!』って言うんやけどね…(わざわざ大村から来てくれた)」と懐かしそうに語った。
今でも時々昔の卒業生がくることがあるという。「場所が変わったので、気付かない人も多いのでは。」と残念そうにご主人は話す。しかし六本松キャンパスが移転になることをきっかけに出版された服部先生の本『青春群像〜さようなら六本松〜』を見て、「『まさ』まだあるとかいな?」と電話をくれる人もいると、ご主人は顔をほころばせた。
■九大生へのメッセージ
「やっぱりあなた、おじさんも九大とともに育ったでしょ。だから九大との別れに対して、思い出が強いよね。一人ひとりのことはわからなくても、九大という名前に愛着があるよね。六本松から九大が無くなっても、ここに九大があったという思い出はおじさんが死ぬまで消えないと思うよ。」ご主人はここまで一気に話をして、遠くを見つめた。そして「九大生とは音楽を通しての思い出がもちろんあるよ。アルバムのこの曲がいいとか、誰がどの歌手が好きとか。」 「まじめな人よりも悪い人の方が思い出としては残っている。」と続けた。
またご主人んは2009年3月21日に行われることが予定されている「ありがとう、そしてさようなら六本松」というお別れイベントに対しても、「21日のイベントを機にお店に来てほしい。」「昔の学生もずいぶんおじさんになっているだろう。そういう人に会うのがうれしくて悲しくてしょうがない。」とメッセージをくれた。

レコードショップまさのご主人は、箱崎九大記憶保存会が作成した「ありがとう、そしてさようなら六本松」のメモリアルDVDのBGM選曲に協力して下さいました。この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございます。

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