大 千 

大千は六本松キャンパスから別府方面にいった団地の中にある定食屋だった。大千の魅力はおいしい定食はもちろんだが、会話の中に冗談と笑いが絶えない親しみのもてるご主人だったに違いない。残念ながら、大千はもう店じまいされていておいしい定食を食べることはかなわなかったが、笹丘にある川原青果店で働くご主人の菅原照光さんにお話を伺うことができた。

■お店の沿革
ご主人は中華料理屋で料理人としての修業を積み、博多区に最初の店をもった。当時は場所が博多区だったということで、サラリーマン相手に中華料理を作っていたという。しかし立ち退きを命じられたことをきっかけに、笹丘で料理屋を再開したという。屋号はこの頃から「大千」だ。最初は中華料理も作っていたそうだが、客層が一般から学生に移ったのをきっかけに徐々に定食も出すようになった。しかし笹丘でも立ち退きに遭い、田島寮付近の別府に店を出店した。店は数多くの九大生で盛況だったが、六本松キャンパスの移転の影響で2007年9月30日をもって閉店した。現在ご主人は笹丘で親戚がやっていた川原青果店を引き継いでいる。
■屋号の由来
一般的に中華料理屋で「せん」という言葉を使う時は「仙」という漢字を当てることが多いそうだ。ではなぜ大「千」なのかというと、博多で中華料理屋をやっていた時、九大の柴山教授が付けてくれたそうだ。何でも、中国の漢詩の「大道無門、千里即渉」の頭文字の「大」と「千」をとっているとのことだ。

■笹丘店での思い出
笹丘店はカウンター10席ほどの大きさだったという。笹丘店は九大から少し離れているが、いつも十数名のアメフト部員が店を訪れていたそうだ。「アメフト部には世話になった。」「笹丘店では定休日も決めとらんやった。昼の営業はやったりやらんやったり。来る人もいい加減なら、やる人もいい加減やけん(笑)」ご主人の話には冗談と笑いが絶えない。
■別府店での思い出
1992年、ご主人は笹丘店を辞め別府店を開店した。引越しの時にはアメフト部の部員を動員したそうだ。別府店の営業時間は昼は気分がのったときに開店し、夜は22時まで営業していた。定休日は火曜日だった。別府店は1階が7・8名のカウンター、2階には新歓の時期には25〜30人がぎゅうぎゅう詰めで使っていた座敷があった。あまり広いとは言えない店内だったが、多い時には1日に150人ものお客が店を訪れ、1時間待ちはざらという名店だった。お客は九大の男子学生が多く、特にアメフト部はよく利用していたようだ。また福岡大学や西南大学のアメフト部も来ていた。ご主人の口からは次々ともう10年以上前のアメフト部員の名前と思い出が語られた。10年ほど前が別府店の人気の絶頂だったそうで、ご主人は「あの頃はよき時代やったよね〜」と振り返った。

から揚げ定食

「アレ」定食

■大千(別府店)の七不思議
大千には七不思議があるという。その一つがバイトの女の子が毎回美人か可愛いことだ。大千では、バイトの女の子を人づてで探していたそうだが、客が「顔が可愛いことがバイトの採用基準やろ。」と思うほど、なぜか大千のバイト生は毎回美人か可愛かったそうだ。ご主人は「美人と可愛い子ばかりバイトにおったやろ?やけん、そこらへんの美人はもう普通にしか見えん。本当よ。」と話していた。残念ながら、今回のインタビューでは残りの六つの大千の不思議な現象を聞き出すことはできなかった。気になる人はぜひ川原青果店のご主人を訪れてほしい。
■大千式お会計(別府店)
別府店時代の大千は1時間待ちがざらなほどの人気店だった。そのために「お客がカウンターにお金を置いて、勝手にお釣りをとって帰る」という、信じがたいお金のやり取りがなされていたそうだ。「黙っとけばお金を置いていったかいかんやったか、誰もわからんたい。やけど、『払い忘れた。』って言って、わざわざ戻ってくる客がおったけんなぁ。」ご主人の言葉から、大千のご主人とお客の間には強い信頼関係があることを感じた。

■移転
九大の六本松キャンパスの移転が決まって、工学部が箱崎から移転し始めると、急に客足が遠のき始めた。さらに大千の固定利用客だったアメフト部が練習時間の延長などを理由に、店を訪れなくなっていった。「九大の六本松が移転するときに終わろうと思っとった。事情で、1年前倒しで店じまいしたけど。」と、ご主人は人気定食屋の閉店の理由を語った。現在、かつて大千があった場所には別の定食屋がある。ご主人が「この店差し上げます」と店に張り紙をして、バイトの父親に譲ったそうだ。新しく出来た定食屋はかつての定食屋とは違うものだが、内装はそのままだという。
■学生の変化
笹丘店時代と閉店前の別府店時代の学生の変化を尋ねると、ご主人は「変わった、変わった。そりゃあもう、全然(違う)。九大生ってよくイモとか言われるたい。でも俺は決してイモとは思わんやったよ。そりゃ、イモみたいなのもおったけど、それはどこの大学にもおるたい。俺は九大生を個性があって頼もしいと思っとったよ。最初は九大生といえば、学者とかイモのイメージがあったけど、接すると個性のあるやつやなって。でも、最近の九大生は自動車と一緒たい。みんなプレスされて同じ型で出てくるやろ。」と九大生が平板化していると話した。

■九大生へのメッセージ
大千のご主人は「九大生へのメッセージはないよ。まぁ頑張ってくれぐらいか。あとは国のために人事を尽くせとか?このくそオヤジと思われるやろうなぁ(笑)」と、笑いながら九大生にエールを送った。


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