昭和41年 工学部入学 S.Hさん

  • 昭和41年4月 工学部・建築学科入学
  • 昭和42年秋  東新町に2年半下宿
  • 平成18年     九州大学で教鞭を執る
    • 昭和41年、学生の衣食住
     日々の食事は?
    当時(昭和43年)は学食が30円、外で定食を食べると100円の時代でした。本部の地下にある工食(工学部食堂)によく通っていましたね。工食は自分で食べたいものを勝手に取って、その分だけお金を箱に入れるシステムで、誰もチェックはしていませんでした。今考えるとおおらかな時代でした。

    工学部食堂正面

    六本松時代は賄い付きの下宿、箱崎に来てからは賄いが付いていない下宿屋さんでした。だから自分のうちでご飯を食べるときに、大きな灰皿にマルタイの棒ラーメンを入れて食べたことを覚えていますね。
     下宿、風呂、洗濯
    東新町の下宿屋さんは、一畳当たり月1000円、僕は6畳借りていました。風呂は共同で、手洗いも共同。洗濯は洗濯機がない時代ですから大変で、僕は実家(のある柳川)に帰る際に洗濯物をまとめて持って帰って洗っていましたね。
     電話事情
    携帯電話の普及により本当に変化しました。当時は公衆電話がたくさんあり、また下宿でも電話がかかってきたら大家さんに取り次いでもらっていました。今は携帯に直に電話がかかってきますが。


    • 学校での日々
     研究室の思い出
    学園祭をよく覚えています。クラス単位で出店を出し、建築はホットドックを作っていました。他のクラスもそれぞれお店を出して。
     学生運動、全盛期
    僕の学生時代は大変な時代でした。九大の電子計算機センターに米軍機のファントムが墜落、学生運動が盛んな時代で学内には様々なセクトがたくさんありました。
    内ゲバがものすごく、とても勉強をする環境ではなかった。先生を突き上げたり半年間授業をボイコットしたり。授業がないので自分たちで自主ゼミを開き、先輩に教えてもらっていました。
    色々ありましたが、当時は真剣に国を憂い考えた、そんな時代だったように思います。


    • 学生の遊びと言えば!
     昭和40年代の定番
    遊ぶと言えば麻雀かボーリング。大黒屋という九大前にあった雀荘に良く通っていました。麻雀もつけがきいた時代で、奨学金が入ったらそこのツケを返していました。自宅で麻雀もよくしましたね、ハイライト(当時50円)のしけモクを爪楊枝に刺して、こう(タバコの根本に楊枝を刺して)吸いながらやっていました。
    ボーリングは当時流行っていて、早朝割り引きでできたので朝早くによく行っていました。確かワンゲーム100円を切る位じゃなかったかな。徹マンをして負けたやつのおごりで朝からボーリングへ、よくやったものです。 マンガも流行った時代で、好きなやつは『明日のジョー』などを良く読んでいました。めし屋に行けばマンガが置いてありましたからね。

    三畏閣中座敷
     昭和40年代のコンパ
    三畏閣をコンパでよく使っていました。コンパといえば三畏閣。最近の学生は使ってないんじゃないかな。


    • あの頃の箱崎と
     箱崎で、よく出入りしたお店
    正門前にあるプランタン(という喫茶店)にはよく通っていました。あとはサヨン、あそこは昔は食堂でした。
    あと山にも肉を食いに、あそこは少しリッチな時に行くお店でした。網屋縦筋にあった赤のれんというラーメン屋にも良くいきましたね、当時とは別の形で今でも少し残っていますが、今とは比べものにならないくらい美味しかったですね。
    (昔の市電の九大前停留所横にある)はこざきとんかつ、あそこは昔はうどん屋さんでした、今はとんかつ屋さんですが。
    あとは昔は、筥崎宮の前に屋台がたくさん並んでいて、奴という屋台によく通っていました。
    箱崎商店街にアサヒ会館というパチンコ屋があったのも覚えています。
     箱崎の変化
    やっぱり遊び場が少なくなりましたよね。パチンコ屋や雀荘もほとんどつぶれています。そもそも遊び自体が変化しているのかもしれませんね、今はどこでもパソコンさえあれば一人で遊べる時代、人と場所を必要としなくなったような気がします。
    あとは飲み屋だとかスナックも減りましたね、街自体に活気が(当時と比べると)全くない。人通りも少ないですし、残っている飲食店も学生向けのものはほとんどないように思います。
    また、道路事情が昔と全く変わっていますね、市電がなくなり地下鉄になったのが大きいです。昔の面影がなくなりましたね。


    • 九州大学の変化
     九大の変化
    学内に車が多くなりましたね。当時は車なんてほとんどなく、門も出入り自由でした。今は小松門からしか車は入れませんが。現在は正門は全く正門らしく機能していませんね。
    あと、九大といえば昔は正門から入ってすぐのうっそうとした緑が印象的でしたが、今は裸になっていますね。
     九大生の変化
    まず思いつくのは留学生が多い。また(大学院への)進学率も高いですね。
    気になるのは学生同士の交流が当時に比べると少ないような気がします。コンパなどやっているのでしょうか。部活もサークルも何もやっていない学生が多くなっているような印象を受けます。今は何をするにも一人でも生きていける時代ですから……。


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