森 康司さん

  • 平成6年4月 文学部入学
  • 平成10年4月 大学院進学
  • 平成15年3月 大学院博士課程卒業
  • 部員・ヘッドコーチ・ゼネラルマネージャーとして長年アメフト部に所属。南区の自宅より通学。
    • 学生生活

    学生でごった返す六本松生協食堂

     1年時は六本松で朝から講義があっていました。2限が終わり友達と合流、ご飯を一緒に食べながら、その場のノリで、午後からも講義に出るかそのまま遊びに行くかを、昼休みに決めていましたね。遊びにいくのは、誰かの家に行くか、どっかのお店でだべるか、麻雀をするかでした。

     アメフトの練習は箱崎の貝塚グラウンドでやっていました。昔は地下鉄七隈線はなかったから、バスで天神まで行き、天神から地下鉄に乗っていました。練習は17時から20時位まであり、その後ミーティングが終わって帰るのは21時位でしたね。22時に帰宅し、勉強は…してなかったかな?(笑)、くつろいで、1時くらいに寝ていました。


    アメフトの試合で活躍する森さん

     (2年次以降は)朝10時に起きて、午後から学校に行っていました。文学部は楽だから、午前中の授業は出なくても大丈夫だろうと思っていましたね、午前中はほとんど行かなかったです。ただ部活があるので、毎日学校には行っていました。

     アメフト部は4年の11月に引退しました。4年生になったときから就職活動はしていて、内定をいくつかもらっていましたが、学部時代に物足りなさを感じていたこともあり、大学院に進むことを決意しました。院試を1月に受けました。


    • 遊ぶ
     麻雀をよくやりましたね、ちょっとしたものを賭けて。六本松では「マドンナ」、箱崎では「だるま」という雀荘(だるまラーメンの近く)によく出入りしていました。アメフトの練習の後、夜10時くらいから行くこともありました。
     僕は自宅生なので、友達の家にお酒を持っていってお邪魔して、朝まで飲んだりもしましたね。昼からそのまま学校に行きました。六本松時代は別府に住む友人宅によく泊めてもらいました。
     あとは合コンですね。アメフト部なので誘い口が結構ありまして、毎週末行っている人もいました。僕は月に一回くらいでした。天神や、親富孝通りも今ほど裏寂れていなかったので親冨孝なんかで、大学生やOLさんとかとやっていました。九大生との合同コンパはほとんどなかったですね。
     今の大学生は友達同士でテレビゲームをやるようですが、僕らは全くやっていませんでしたよ。
    • 青春の六本松

    多津田のメニュー
     他の九大生はあまり行ってなかったようですが、僕は「きぬよ食堂」というお店によく行っていました。しゃれたおばちゃんが二人でやっていましたね。大学の同じクラスにだいぶ年配の方がいて、その方に連れていってもらいました。その人には麻雀も教えてもらいましたね。六本松の生協食堂に一番近い門(西門)から出て、左に行くと、道の右側に多津田とかありますが、それをさらにまっすぐ進むと右手にありました。九大の六本松キャンパスができたとき、生協の人が学食で出だすためメニューを教えて欲しいと、きぬよ食堂に尋ねてきたと、おばちゃんに教えてもらったことがあります。カウンターと小さなテーブルがあるお店で、値段は600円くらいで食べれましたが、九大生はあまり見かけませんでしたね。

    多津田の名物・山盛りごはん

    うどん長州
    他には、言わずと知れた「多津田」、お好み焼き屋の「みかちゃん」、西門からでほど近くにあるうどん屋「長州」、その横にあったお好み焼き屋さん、漫画が沢山おいてありましたね。屋号は忘れましたが、花の名前だったような気がします。
     あと、めんちゃんこ亭の裏の細い路地に、ラーメン屋がありました。何といったかな…このあいだ入ったらなくなっていたのですが、おじちゃんとそのお母さんがやっているお店でした、味はこってりラーメンで美味しかったですね。
     正門を出てしばらくまっすぐ行くと右手にある「さくら」というお好み焼き屋にも時々行っていましたね。大濠高校の学生もよく来ていました。
     あと皆が知っている「大千」というめし屋。ボリュームがあり、安く、少し濃い目の味付けでした。アメフト部1、2年生の御用達で、亭々舎でコンパをするときもあそこから料理をとっていましたね。ご飯がえらくテカテカしていて、ご飯に油を入れてテカリを出しているだとか、定食プレートに盛られているポテトサラダは食感はポテトサラダだが、実は油の固まりではないかとか、とにかく人気のお店だったので色んな噂がありましたね(笑)。でも味も美味しくボリュームもありました。また親父さんが名物親父で、アルバイトの女の子も二人くらいいましたね。2階でご飯が出てくるのを待っていて、出来上がると下から「アメフトさーん」と呼ばれ、下まで取りに行っていました。僕は友人がつくった探偵サークルにも入っていたので、「探偵さーん」とも呼ばれていました。西南の学生もよく来ていたようです。残念ながら2,3年前(2005〜2006年)になくなってしまいましたが…(現在は少し離れたところで八百屋をやっているそうです)。

    思い出のつまった亭々舎
     食べたら天国に行ってしまうのではないかと笑い話もあった「天国ラーメン」、その向いにも有名な定食屋さんがありましたね、名前は忘れましたが…。
     亭々舎には色々と思いでがありますね。入学してすぐにクラスコンパがあり、僕はその時はじめて酔いつぶれました(笑)。アメフト部の新歓コンパはもともと外のお店でやっていたのですが、亭々舎でやったほうが多くの人が来てくれる、学生を連れ込みやすいということで、2000年あたりから亭々舎でやるようになりました。


    • 思いでの箱崎

    九大生の多いハロー(通称:赤ハロ)
     まずは「ハロー」。今は一つになりましたが、昔は二つありました。今あるハローは通称「赤ハロ」、そして「黄ハロ」というのが大学前交番の近くにありました。赤ハロはちょっと遠いけどご飯のおかわりが自由、黄ハロは近いけどおかわりは自由ではありませんでしたね。他の定食屋が休みの土日もやっていたので、練習後によく行きましたよ。
     新楽通りを原田方面に進み、宇美川にかかる橋を越えた所にある「笹山」にもアメフト部員はよく行っていました。レンタルビデオ屋・ゲオの近くですね。5年ほど前に移転していますが。丼ぶりやうどんを出しており、ボリュームがありました。

    味勝名物・味チキン勝定食
     あとは「味勝」(味勝の記事は こちら をクリック)、ここもアメフト部御用達のお店でした。定食を食べた後に焼き飯をさらに食べたりしていましたね。味チキン勝定食を良く食べました、揚げた鳥肉をダシにつけて出してくれました、かなり大きかったですね。味トンというのもありましたが、やはり味チキンが一番人気でした。行けばだいたい学生は入っていましたね、学生の食堂でした。
     飲み屋ですが、社会学研究室でよく使った「喜楽」という飲み屋は記憶に残っていますね。唐揚げが名物で、唐揚げばっかり食べていました。定食も食べられましたね。この間先輩とちょうどその話が出たのですが、もう今はなくなっています。
     あと、忘れられないのが「はたけ」という定食屋さんです。八木病院のむかいにあり、ごはんが食べ放題でした。アメフト部の連中でよく通ったものです。客は九大生ばかりでしたね。角煮定食が好きでよく食べていましたが、他にもすき焼き定食、鶏すき焼き定食、ブタチリ、ちゃんこ、冷やし牛(夏期)、カモ鍋(冬期)など色々なメニューがあり、すべて角煮の小鉢付きでした。本当においしく、一度食べて以来、通いつめるようになりました。確か小畠さんという夫婦の方がやっておられ、アメフト部発行のイヤーブック(年誌)にもよく広告を載せてもらっていました。お店が閉店したと聞きつけ、お店に電話したのですが、どうもご主人がお亡くなりになったようですね。2年前の4月(2006年)あたりだったと思います。とても残念でたまりませんね、あの味を絶やすのはもったいないですよ。「こんなに美味い店があるのか!」と僕にはカルチャーショックでした。値段も良心的で、ボリュームもあり、愛想もよかったです。アメフト部員は大勢で押し寄せお代わりをたくさんして、迷惑もかけました。ワガママかもしれませんが、何としてももう一度お店を復活させて欲しいですね。
     それと、新楽通りにある筥松郵便局の横に「広島屋」というお好み焼き屋さんがありました。今はマンションへの入り口になっていますが。そこもよく通いました。今は篠栗に移転してしまいましたが、この間も食べに行ってきましたよ。
     他にも「串太」、「モミの木」、名島橋近くにある「一楽ラーメン」、色々と行きましたね。
    • 変化
     入学以来、研究・部活と九大に10年以上かかわってこられて、感じる変化は?
     ひとつは学生のおとなしさですね。分かりやすく言えば、飲み会の場で無茶をしなくなりました。救急車がこなくなりました(笑)。当然、これは良いことなのかもしれませんが。以前はよくありましたが、お店に出入り禁止になるような騒ぎも起こさなくなりましたし。とにかく「大人しく」なりましたね、それが「大人(ら)しさ」であるのかは分かりませんが。別に僕たちもあれがカッコイイと思ってやっていた訳ではないですが、かっこ悪いと思うようになったのかもしれませんね。それと「俺の酒が飲めないのか」という上下関係も通じなくなってきているのでしょうか、昔は飲みたくなくても無理矢理飲まされていましたので。もっともこれは九大だけではないようで、広島大学と昔アメフトの交流戦をやっていて、試合後一緒に騒いでいたのですが、広島大学も同様だそうです。九大の他の部活もそうではなでしょうか。
     体育系の部活人気が下火と聞きますが?
     体育系・文科系問わず、部活動自体、入る学生が減っているらしいですね。そうした風潮から、下級生にあまり無茶をして辞められては困るというのもあるのかもしれません。
     友人のN君はバレー部の部長で、そういった飲みの強要のようなことは一切しないそうです。昔自分が先輩達から無理矢理飲まされたりして、そのことに何の意味も見いだせなかったので、後輩にはしないぞと。
     う〜ん、昔はでも体育会系とはそういうもんだってのがありましたけどね。
     逆に、サークルだとかの方が余計に飲みますよね。
     文化系サークルや部活の方が、よっぽど「体育会系」だったりしますよね。
     最近は新聞紙をお店に持ち込むらしいです、吐いた時のために、下に敷くと(笑)。吐くのを前提で飲むそうです。
     我々のころは酔いつぶれたらほったらかしにされていましたよ(笑)。まあ何にしろ、楽しく飲もうという風潮が強まっている気がしますね。
     もう一つの変化は、これは表象的なものかもしれませんが、みんなお洒落になりましたね。いも九を見かけません、キャンパス内で。昔は西南なんかと比べると九大生はダサイなぁという感じがしましたが、最近は「本当に九大生?」と思うような学生が増えましたよね。これはここ数年ではなく、結構前からですが。派手だけど結構マジメという、よく分からん学生が(笑)。
    • 九大移転とメッセージ
     九大の移転に関してはどのような気持ちがありますか?
     お店や商店街がなくなるさみしさですね。今も、どんどん馴染みのお店がなくなっていっているので、やっぱり寂しいですね。
     箱崎の街に伝えたいことは?
     ぼくは「はたけ」に対する思い入れが人一倍強いので、もう一回やってくれとお願いしたいですね。あの味を知らない人がいるのはもったいない!本当に美味しかったです。

    思いでの一枚


    汗と涙の貝塚グラウンド

    掲示板周辺(六本松キャンパス)

    ■□ 写真集 □■

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    (C)2008 箱崎九大記憶保存会